友達
節子さんが、東京から帰ってきた。彼女は、息子さんのところへ6か月前に引っ越して行った。彼女は、数多い友人に引き留められたが、「絶対にうまくいくから。私には、自信がある。」と、言い残して。でも、行って3か月半で関西に所用で帰って来た時、少し彼女の様子が変わってきていた。
関西の地を踏んだ時、「やはりここが良い。」と、何もかも懐かしく、居てもたっても居られないように、帰りたいと言っていた。そして東京から、何度となく電話がかかってきた。
「淋しいので、やはり友達の多い関西に帰りたい。」と。彼女は今年で76歳。外に出れば、なじみの薄い風景の中で、家の中では、息子夫婦が出勤し、孫たちが大学、高校に登校し、日中一人ぼっちで、することも無く時を過ごすのは、何不自由なく暮らせて行けても、不安だと言う。先日、家の中で倒れたそうだが、電話してすぐに飛んできてもらう人も無く、じっと病状が治まるまで、廊下に横たわっていたそうだ。
息子さんは良く出来た人で、何時も母親のことを案じ、気を使ってくれる。お嫁さんも、彼女の大のお気に入り。「この人とは絶対にうまくいく。」と、私達に自慢をしていた。
彼女が関西に帰りたいと息子に言うと、とても残念がって、「でもお母さんがそう望むなら、嫁を説得する。」と言って、了解してくれたそうだ。
そして、関西に住む娘たちの家のすぐ側に、一人暮らしの家を見つけてもらった。いま、娘が毎日小さな孫を3人連れて通って来ている。友達も以前のように、出入りが激しい。
明るい南向きの、お気に入りのお部屋で、「スパティフィラム」の花を買ってきて、再度一人暮らしを始めた。
お別れの日
午前0:30 「砂糖湯」10回スポイドで良く飲んだ。「便」黒くて固い便が1個と、柔らかい蟹便が多く出た。おむつを替えてやる。敷きパットまでよごれているので、一緒に全部替えてやる間じっとしている。約30分ほどかかって、やっと落ち着く。午前1:00だ。
午前5:30 「砂糖湯」6回 少し沸きなおして、人肌にさまして飲ます。口を少し開けて息をするようになった。しんどいのだろう。私の胸からこみあげてくるものがある。「尿」おしめを見るが、汚れていないようだ。
午前8:00 「砂糖湯」5回。先ほどまで閉めていた口を半開きにしている。砂糖湯も、口をあまり動かさないので、飲みが悪い。
午前9:30 「砂糖湯」4回。あまり欲しくないようだ。
午前10:30 「砂糖湯」10回。少しずつゆっくりと飲んだ。
午前11:00 まりの部屋から電気カーペットごと外に出してやる。蟹ばばが、敷きパットまでしみている。おしめを変えてすっきりしただろう。暖かくして、主人を呼んだ。そして2人で、唱題をした。優しい眼差しで、じっと聞き入っていた。主人は「長い間ありがとう。」とまりの頭をなぜながら、お礼を言っていた。私は「今度は人間に生まれ変わって、もう少し長生きしてね。」と、祈った。
午前12:00 「砂糖湯」5回。飲んでくれた。静かに呼吸をしている。
午後1:20 「砂糖湯」5回。スポイドで、口にそそぐ。口を開けているので、呑み込めないのであまり飲んでいない。いままでは、注いでやると、口の中で舌をペチャペチャさせて、のんでいたが、その力も無くなり無理のようだ。目を開けているが、口で息をしている。目から涙が出て来ていた。泣いているのだろうか?何度もウエイトテッシュで拭いてやる。
午後3:20 あれから離れないでじっとまりの側にいた。灯が消えていくように息をしなくなった。「まりが死んだのだ。」涙が止まらない。22年と2か月の生涯を閉じた。思い出を私達にいっぱい残して、旅立って行った。気が付くと、右ほおに出来ていた爪でひっかいてうんでいた傷もすっかり良くなって綺麗になっている。すべて治していったのだ。不思議な子だった。
息を引き取っても、まるで生きているようで、とても綺麗だった。
宝塚動物霊園の方は、「人間の年齢に替えると、130歳に成ります。」と。「本当の老衰ですね。」とも。
午後5:00 納棺が済み、霊柩車で我が家から出棺した。明日火葬だ。主人は肺炎で外まで見送くれないので、家でお別れした。外の霊柩車に、洋子さんが付きそって下さり、2人で見送る。さようなら。本当にありがとう。